2015年9月12日土曜日

遥かなる熊野三山詣と温泉巡りツーリング再び③ 遅いランチは「湯の峰温泉 売店・食堂」でしらす丼。世界遺産「つぼ湯」でお浄めしてから熊野本宮大社参り

国道311号線を更に東へと走ります。
次の目的地は湯の峰温泉です。

湯の峰温泉は、今から約1800年ほど昔の四世紀ごろ、第13代成務天皇の御代に熊野国造大阿刀足尼(おおあとのすくね)が発見した日本最古の温泉と言われています。
後に歴代上皇の熊野御幸によってその名が広く知られる様になりました。
熊野御幸では湯の峰温泉に一泊して身心共潔めてから詣るのが順序だったのです。

今も昔ながらの温泉情緒を残し、湯の町の風情を感じる事が出来ます。
古の人々は熊野詣の旅の途中、湯の峰で湯垢離を行い、聖地での禊ぎと旅の疲れを癒しました。


その最初の噴出地が東光寺
本尊である薬師如来像は湯の花が自然に積もり化石となったもの。
胸のあたりから湯が湧き出ていたため、その像は「湯胸薬師(ゆのむねやくし)」と呼ばれていました。
「湯の峰」の地名はこの「湯の胸」に由来すると伝えられています。
第16代仁徳天皇の御代に裸形上人が、この湯の花化石薬師如来像に感得し、草庵を結び、東光寺を開基しました。


ここに立ち寄ったのは、もちろん私も古の習わし通り、湯の峰の温泉で身体を浄めるため。
温泉そのものが世界遺産に認定されているつぼ湯に入るのです。


つぼ湯に入るには、まず湯の峰温泉公衆浴場の受付へ。


ここで入浴券を買い、つぼ湯入湯のための番号札を受け取ります。


このつぼ湯入湯券で、一般湯か薬湯のどちらかにも入湯可能。


私の順番は今から5番後。
単純計算すれば2時間半後ということになりますが、制限時間の30分以内で出てくる人も多いから、そんなには待たないでしょうという受付の方の説明を信じて待つことにしました。
その間に遅い昼食です。
公衆浴場の横にある湯の峰温泉 売店・食堂


素朴な田舎食堂です。


一般的な食堂メニューですが
「和歌山といえばしらす丼かなぁ」
と思って注文しました。


小さなお盆にのって出て来ました。


想像よりもボリュームがあるしらす丼
梅干しがのっているのも和歌山らしいと思うのは、私の考えすぎでしょうか。


お味噌汁。


醤油を軽くかけ回して、頂きます。
しらすの下にはゆかりが。


しその葉や海苔と一緒に。


半分食べ進んでも、まだこれだけ。
お腹いっぱいになりました。


待ち時間がまだまだありそうですから、温泉卵を作って食べようと、生卵を買います。
2個100円。





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湯の峰温泉 売店・食堂郷土料理(その他) / 田辺市その他)

昼総合点★★★☆☆ 3.1


温泉が湧く新宮川の上流。


階段を下りて、温泉卵を作るための湯が張ってあるところに向かいます。


ネットに入った卵を熱い温泉に浸します。


待つこと12、3分。
そろそろいいでしょう。


出来上がった温泉卵を手に下げて、熊野古道を歩いて、すぐ近くのつぼ湯に向かいます。


ちょうど私の前の順番の方が入る所でした。


待合所で温泉卵を食べながら待つことにします。


ところが、これが結構熱く、しかもフニャフニャしているのでかなり剥きにくいのです。


たまごマイスターを自称する私にしては、残念な剥き方。


それでも美味しい。


ようやく私の順番です。
1時間15分待ちました。


入口に自分の番号札を掛け、ドアの外に靴を置いてから、小屋の中に入ります。


中はかなり狭く、急な石段を下りた所が湯船となっています。
河原と同じ高さ、ということになります。


その名の通り、石垣で囲まれた壺のような形。


餓鬼阿弥の姿となり死の淵を彷徨う小栗判官が照手姫の助けを借り、湯の峰に達し、その湯に浸かって体を癒したという有名な「小栗判官と照手姫伝説」の解説が小屋の中にありました。


壺の底から温泉が湧いてくるのですが、それは高温。
うめながら入らないと熱すぎるのです。


つぼ湯の底には大きな丸い石が敷き詰められています。


一日に七回もお湯の色が変化するといわれていますが、私の時は淡い乳白色でした。
ここでも、古の熊野詣の気分を味わうことができました。


せっかくの権利ですから、もう一湯入ることにします。
一般湯と薬湯が選べますが、私は薬湯にしました。


こちらの方が源泉かけ流しで、湯の峰温泉では一番泉質がいいと受付の方に聞いたからです。


質素な造りの公衆浴場。


古い木枠の浴槽。
年季が入っています。


天井は吹き抜けになっています。


源泉かけ流し。


湯の花が浮いていました。


もう15時を回っています。
お浄めに勤しみ過ぎて、肝心のお参りの時間が減ってきました。
急いで熊野本宮大社に向かいます。



湯の峰温泉から15分弱。
熊野本宮大社に着きました。


全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山。
三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社です。
本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせます。


総門をくぐると立派な社殿が現れます。


二年前は改修工事中で、覆いに囲われていて、とても残念でしたが、今回はその姿を拝むことが出来ました。


向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。
中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。
そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。




熊野本宮大社は、かつて熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・遷座しました。


当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。


ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。
大鳥居は高さ約34m、幅約42m、その背後のこんもりとした森が大斎原です。


熊野参詣道のなかでも、多くの人々がたどった「中辺路」を歩くと、難行苦行の道のりを終え最初にたどり着くのが熊野本宮大社。
そんな古の熊野詣の人々の気持ちを感じることが出来る、スピリチュアルな場所です。



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