彼の部署のS次長、M部長、私の同僚のM部長を交えた懇親会。
私と非常に嗜好が近いT局長と「下町居酒屋に行きたいね」と話していましたが、草鍋を食べに九条に行く事になりました。
地下鉄中央線九条駅から千日通商店街へ。
商店街に入って程なく左手に店が現れます。
ちゃんこ鍋の小川下(こかげ)。
年季の入った昭和居酒屋。
二階には座敷があるオオバコの店。
既に鍋はセットされています。
料理は草鍋一種類。
山のような野菜。
お店ではちゃんこ鍋と言っていますが、お客が付けた草鍋という通り名がいつの間にか定着したとか。
こちらは本日の小鉢。
この中から好きなものをチョイス。
これは鍋代とは別。
メニューなどありません。
早速ビールで乾杯。
卓上には取り鉢がセットされています。
醤油と辛子というシンプルなもの。
しかも醤油は何の変哲もないキッコーマン。
鍋が煮えて来ると次第に野菜に火が通って体積が減っていきます。
ホール係のおばさんが時折巡回してチェック。
そろそろ食べ頃。
野菜はしろ菜、もやし、にら。
春雨も私の好物。
この店の雰囲気と料理なら燗酒。
危険な予感です。
サービスで塩昆布と山椒をツマミで。
れんげ置きに入って出てくる所が面白い。
野菜が無くなると下から豆腐と豚肉が出てきます。
豆腐に巻きつけるように豚肉を仕込んでいるそうで、豚肉が固まりになっています。
それをほぐしながら取り分ける仕組み。
もう二人前追加することにしました。
出汁も追加で入れてくれます。
燗酒から芋焼酎のロックに切り替え。
これだけでも美味しい。
〆は雑炊です。
おばさんがご飯を投入。
煮詰まってきたらアクを取って溶き卵を入れます。
いい感じで出来上がり。
お新香も。
やっぱりこれだなぁ。
帰る時にはもう看板で、暖簾が仕舞われていました。
ここから少し社会見学。
ナインモール九条を横切るとそこには松島料理組合の看板。
通称松島新地。
飛田新地と同じ料理旅館という仕組み。
飛田ほど店の数はありませんが、通りが広くゆったりしています。
あちらはさながら映画のセットかテーマパークのようですが、こちらは非常に自然な感じ。
とはいえ、やはり平成の世には不思議な光景である事に変わりありません。
大阪府条例により特殊浴場を禁止した結果、その手の商売はこのような形で生き延びているという大阪のディープさを実感します。
女ある所に男あり。
男ある所に飲み屋あり。
九条はそうして発展した町。
さて5人は次なる飲み屋を目指して歩き始めます。
T局長が私を是非連れて来たかったという白雪温酒場(しらゆきおんさかば)。
すっかり綺麗になって往時の風情は無くなったと嘆いていました。
残念ながら満席で入れず。
ここまで来たら西九条で飲もう、ということになりました。
源兵衛渡で安治川を渡るのです。
といっても船ではありません。
エレベーターで降りて渡る人道トンネル。
安治川の両岸は特に往来が盛んで渡船運航は困難を極めました。
運搬船が頻繁に行き交い、渡船はその航路を横に遮るためです。
一方で船舶の高さとの関係から架橋も容易ではないとのことで、昭和初期、全国でも類を見ない河底トンネルが計画されました。
特に渡航量の多かった源兵衛渡跡に1935年(昭和10年)から建設が始められ、戦時中供出された鉄材を受けてまで工事は進み1944年(昭和19年)に完成したのです。
そんな歴史など知らない若者たちが利用する深夜帯。
西九条駅のガード下にある飲み屋街。
飛び込みの飲み屋を物色するS次長とその後ろを歩くT局長はさながら若頭と組長風情。
ここが良さそう、と飛び込んだ串・一品料理福家。
相当年季の入った渋い店。
これは当たり。
ランチはカレーがウリらしいので、ツマミでカレーを出してもらいました。
何でも言いたい事は言った方がいいのが大阪。
更にハイボール、酎ハイと飲み進み今日は相当なチャンポン。
すっかりアルコールが回った5人は仕事の話や関西支社のオフレコ話で盛り上がります。
懇親会の趣旨はしっかりと達成しました。
西九条から環状線に乗り、それぞれの家路へ。
別部署のM部長は私と家の方向が同じ。
支社でも一、二を争う宵っ張りで呑兵衛の彼が「もう一軒行きましょうよ」と言うので、自宅近くのホワイトラベルへ連れてきました。
この一週間で5回です。
想定外の長酒で飲み過ぎましたが、業務で繋がりの深い部署のキーパーソンの方々との関係作りとしては実に良い会でした。
1時になったので、いつも家に帰らないM部長を自宅に帰すために私も店を出ました。
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