昨年9月末で道路専有許可の期限が切れたものの、10月以降も一部店舗は営業を続けています。
1942(昭和17)年の地下道開通後、戦後の混乱を経て60年以上にわたって営業。
JR大阪駅と阪神百貨店の間を東西に走るこの地下道は、管理する市が占用許可を出して飲食店などの営業を認めてきました。
しかし、今秋始 まる阪神百貨店の建て替え工事に伴い、道幅を拡幅することに決定。
昨年1月、対象となる飲食店やチケット店、薬局など約20店に関わる業者らに占用許可期限を9月末までと通知しました。
しかし、老舗串かつ店松葉やぶらり横丁の一部店舗が10月以降も営業を続けています。
「十分な説明がないまま打ち切りが通知されたことに納得できない」というのが松葉の店主を始め営業を続ける5店舗の言い分。
拡幅工事は阪神百貨店の建て替えに伴うもので、阪神側が費用を負担。
平成33年春の完了を予定し、一部で工事が始まっています。
松葉側は「納得できる説明のないまま一方的に退去を求められた」と反発。
大阪市に地下道の占用許可の更新を求める訴訟を起こし、大阪地裁で係争中。
一方、大阪市は8日、営業を続けている老舗串かつ店松葉など5店舗に対し、道路法に基づき店舗の撤去を求める除却命令書を交付しました。
期限の10日までに、店舗側が命令に従わない場合、市は行政代執行法に基づく「戒告」を行った上で、強制撤去に踏み切るというもの。
しかし、その10日を迎えた昨日も何も変化はなく、橋下徹市長は、「残念だ」としつつ「話し合いで解決しないのであれば、法的手段を取らざるを得ない」と表明。そして今日11日、 大阪・梅田の駅前地下道で営業を続ける5店舗に対し、行政代執行法に基づき明日12日までに退去を求める戒告書を交付、強制撤去に向けた手続きを開始しました。
期日までに自主的に退去しなかった場合、執行日を通知した上で、店の設備を強制撤去、撤去費用は店側の負担となります。
市は「執行停止を認める決定が出ない限り、行政代執行の手続きは進める」としています。
長々と書きましたが、この地下道を巡る法的論争に、私は全く興味がありません。
法律など、この大阪では大した意味を持たないと思っているからです。
強制代執行をしたところで判官びいきの浪速っ子が、法的な正誤など気にかけるわけがありません。
大阪の表玄関で昼間っから立ち飲みをするこの文化。
お上など意に介さず、良識など気にしないその価値観こそ、大阪らしいものであり、仮にここが生まれ変わってお店が無くなっても、必ずこの梅田のどこかで立ち飲みも昼酒もできる文化と環境は無くなることはありません。
浪速っ子は、そんなにヤワではないのです。
私は今日その松葉では串かつを食べませんでした。
風情はありますが、分厚い衣で揚げ置きのこの店の串かつは好みではないからです。
戦後の混乱期そのまま、という意味では文化的価値観はありますが、私にはそんなノスタルジーはなく、美味しいほうが大事。
私が向かったのはJR桜橋口近くのぶらり横丁。
2月に設置された工事用の柵がものものしい印象。
私には3月いっぱいで無くなった通称「アリバイ横丁」の方が残念でした。
「阪神百貨店ふるさと名産」と呼ばれた、間口一間、奥行き一尺ほどのシャッター商店街。
日本全国のお土産が居ながらにして買えるのですから、便利なものだと当時小学生の私は思っていました。
しかし、もう少し大きくなって、「アリバイ横丁」の意味する所を知り、その背徳的な表現の裏に潜む淫靡な意味を理解したのです。
ぶらり横丁の東側の入口。
既に立ち退いた店も多くあります。
営業している店ではテレビの取材が入っているようです。
上っ面をなぞっても何もわかるわけがないのに、なんとも余計な話。
大阪の立ち飲み文化や、戦前戦後の大阪駅の歴史まで掘り下げないで、何が伝わるのでしょうか。
市と阪神百貨店に対する抗議の文書が貼られています。
私が食べたかった串かつはここ。
七福神。
時計はまだ18時半。
私が大好きな天満の同名店とは無関係ですが、ここも大好きな店。
6、7人も座れば満席。
メニューは定番を中心に、オリジナリティのあるものも。
まずは生ビール。
目の前に生キャベツとソースが出されます。
自分専用のソースですが、もちろん二度漬けは禁止。
使い回しするからです。
串かつが揚がるまで生キャベツをつまんで待ちます。
ふと目を上げると、目の前のフライヤーにも先ほどの抗議文が貼られています。
盛合せを頼みました。
間違いない定番が入っているので、まずはこれを頼むのがお得。
もちろん最初は牛から。
大阪は牛文化。
なぜ、牛文化なのか、そしてどうしてなんでもかんでも揚げて出したのか、そこまで掘り下げて取材できるディレクターなどいないのでしょう。
立ち退きを求める橋本市長や大阪市と、それを拒否するお店の対峙といった、そんな劇場的な話など、大阪の立ち飲み文化や梅田の成り立ちという深い歴史に比べたら、何ほどでもありません。
キス。
エビ。
うずら。
れんこん。
角ハイボールにしました。
ししとうには出汁醤油。
生キャベツのお皿は入れ替えてくれました。
もう少し。
紅生姜としいたけ。
大阪らしいネタ。
ここは衣が薄く、素材の味が良く伝わります。
サクッとした食感もナイス。
私の座っている後で、食べ終わったお客さんを取材する東京の放送局のディレクター。
大阪の、一体何を切り取って全国ネットで伝えるつもりなのでしょうか。
店主は、立ち退きに反対しつつも、既に駅前ビルに移転先を確保しているのです。
もちろん今までのように、格安の占有料のおかげで儲けることはできないでしょう。
しかし、蛇の道は蛇。
それなりに安い賃借料で駅前ビルの店を押さえたに違いありません。
もちろん先ほどの松葉にしても、新梅田食堂街に本店があり、先日オープンした新大阪エキマルシェにも新店をオープンし、大阪駅の玄関口二か所に店を構えています。
地下街の店を失うことによる収益性の低下はあるでしょうが、判官びいきという言葉が滑稽でもあります。
串かつをつまんで飲んだ後の仕上げは、大阪らしく、うどん。
七福神は30分のサク飲み。
まだ19時です。
今日はこのぶらり横丁で完結。
立ち食いそば屋のまねきそば。
大阪でうどんではなく、そばを全面に出した店名は珍しいもの。
店名通りそばとうどんのチョイスが可能。
しかしにしんはそばのみ、たぬきときつねはもちろん言うまでもなく麺が別物。
そんな大阪の麺文化も、転勤で知ったことですが、東京の放送局には興味も関心も無いことでしょう。
食券を購入し、店内へ。
きつねうどんと生卵にしました。
何ともいえないこの場末な雰囲気が、私は好き。
ここは大阪の玄関口、大阪駅前の一等地なのです。
若いのに仕切りのいいお嬢さんが、テキパキと客あしらい。
父親のような私を、カウンターの空席に割り付けて食券を受け取り、厨房にオーダーを通します。
親父さんが麺を湯がき、片手で生卵割って、きつねと葱をのせて出来上がり。
さきほどのお嬢さんが運んでくれます。
大きなきつね。
麺はもちろん仕入れ麺。
さして旨くもない、妙にボソッとした感じが、立ち食いらしくていいのです。
卓上の天かすを忘れていました。
慌てて投入します。
もちろんドッサリと。
きつねは比較的淡白な味付け。
なにより滲み具合が浅いのが、私には物足りない感じ。
七味も入れ忘れていました。
酔いが回っているのでしょうか。
生卵を潰しにかかります。
瞬時にして出汁は黄色に。
ふと顔を上げると、目の前にも先ほどの抗議文が。
麺はさておき、出汁は旨いこの店。
完飲といきたかったところですが、満腹です。
地上に上がりました。
雨が降っています。
正面の阪神百貨店は昭和26年開業の「アリバイ横丁」こと全国名菓名物街がそのルーツ。
上へ上へと増床し、今日の形になったのが1963(昭和38)年ですから、私の生まれた2年後のこと。
幼い頃、ここのお好み食堂街で食事をし、屋上の遊園地で遊ぶのが最高の贅沢でした。
唯一このエリアの高層ビルだった阪神百貨店の屋上から見下す梅田の町は、まだまだ戦後そのまま。
阪神百貨店、御堂筋、国道2号線、四ツ橋筋に囲まれたエリアは、現在は大阪駅前ビルなどが建ち並んでいますが、当時は闇市の屋台が密集し、怪しげな煙が立ち上っているのが見えました。
その後、第1ビル、第2ビル、マルビルなどが出来、次第に闇市はその姿を消していきますが、それは等価交換で地下に押し込めただけ。
駅前ビルの地下の店舗レイアウトと、業態、そして入り組んだ賃貸借関係こそが戦後大阪の再開発の失敗の始まりであり、現在の大阪駅前地下道立ち退き問題は、消えゆく昭和ノスタルジーではなく、戦前戦後の混乱期をしたたかに生き抜いた浪速っ子の生活と文化の歴史問題なのです。
1929年(昭和4年)に開店しただるまの女将が、西成区釜ヶ崎の肉体労働者たちのために串に刺した肉を揚げて饗したのがはじまりとされる串かつは、得体のしれない闇鍋にも通じますが、貧困の中、それなりに腹持ちが良くて安いものを追及した結果の食文化。
昼間から立って酒を飲み、串かつをつまむ歴史的文化的背景まで見ずに、大阪市VS飲食店という単純な構図で語るのは誤りだ、というのが私の持論でもあり、今日の結論。
もう、アコーディオンを弾く復員兵も、物乞いをする戦傷者もこの街にはいません。
しかし、大阪の表玄関だからと、行政や経済界がやっきになって厚塗りの化粧をしても、大阪人の本質は変えることはできないのです。
万博に向けて建設された新御堂筋も、新大阪駅も、その建設の歴史をみればわかること。
この阪神百貨店が立て替われば、もう私の知る大阪駅前の原風景は消えることになります。
改造工事中の市バス乗り場から、これまた何かと批判の対象になっている市バスに乗って南森町に帰ってきました。
まだ20時前。
止まり木に立ち寄ることにしました。
バーホワイトラベル。
いつものタマゴサンド。
カウンターの中のKさんに聞くと、私が今日の口開けの客だとか。
いい呼び込みになるでしょうか。
30分ほどして、三々五々お客さんがいらっしゃいました。
コーヒーを頼まれた方がいて、目の前でサイフォンの美味しそうなコーヒーが淹れられています。
この店が喫茶店の居抜きだったことを窺わせる瞬間。
一時間きっかり飲みました。
後は家で仕上げることにしましょう。
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もちろん先ほどの松葉にしても、新梅田食堂街に本店があり、先日オープンした新大阪エキマルシェにも新店をオープンし、大阪駅の玄関口二か所に店を構えています。
地下街の店を失うことによる収益性の低下はあるでしょうが、判官びいきという言葉が滑稽でもあります。
串かつをつまんで飲んだ後の仕上げは、大阪らしく、うどん。
七福神は30分のサク飲み。
まだ19時です。
今日はこのぶらり横丁で完結。
立ち食いそば屋のまねきそば。
大阪でうどんではなく、そばを全面に出した店名は珍しいもの。
店名通りそばとうどんのチョイスが可能。
しかしにしんはそばのみ、たぬきときつねはもちろん言うまでもなく麺が別物。
そんな大阪の麺文化も、転勤で知ったことですが、東京の放送局には興味も関心も無いことでしょう。
食券を購入し、店内へ。
きつねうどんと生卵にしました。
何ともいえないこの場末な雰囲気が、私は好き。
ここは大阪の玄関口、大阪駅前の一等地なのです。
若いのに仕切りのいいお嬢さんが、テキパキと客あしらい。
父親のような私を、カウンターの空席に割り付けて食券を受け取り、厨房にオーダーを通します。
親父さんが麺を湯がき、片手で生卵割って、きつねと葱をのせて出来上がり。
さきほどのお嬢さんが運んでくれます。
大きなきつね。
麺はもちろん仕入れ麺。
さして旨くもない、妙にボソッとした感じが、立ち食いらしくていいのです。
卓上の天かすを忘れていました。
慌てて投入します。
もちろんドッサリと。
きつねは比較的淡白な味付け。
なにより滲み具合が浅いのが、私には物足りない感じ。
七味も入れ忘れていました。
酔いが回っているのでしょうか。
生卵を潰しにかかります。
瞬時にして出汁は黄色に。
ふと顔を上げると、目の前にも先ほどの抗議文が。
麺はさておき、出汁は旨いこの店。
完飲といきたかったところですが、満腹です。
先ほどのお嬢さんが
「いってらっしゃい」
と謡うように見送ってくれました。
こういう接客が、正しいのです。
地上に上がりました。
雨が降っています。
正面の阪神百貨店は昭和26年開業の「アリバイ横丁」こと全国名菓名物街がそのルーツ。
上へ上へと増床し、今日の形になったのが1963(昭和38)年ですから、私の生まれた2年後のこと。
幼い頃、ここのお好み食堂街で食事をし、屋上の遊園地で遊ぶのが最高の贅沢でした。
唯一このエリアの高層ビルだった阪神百貨店の屋上から見下す梅田の町は、まだまだ戦後そのまま。
阪神百貨店、御堂筋、国道2号線、四ツ橋筋に囲まれたエリアは、現在は大阪駅前ビルなどが建ち並んでいますが、当時は闇市の屋台が密集し、怪しげな煙が立ち上っているのが見えました。
その後、第1ビル、第2ビル、マルビルなどが出来、次第に闇市はその姿を消していきますが、それは等価交換で地下に押し込めただけ。
駅前ビルの地下の店舗レイアウトと、業態、そして入り組んだ賃貸借関係こそが戦後大阪の再開発の失敗の始まりであり、現在の大阪駅前地下道立ち退き問題は、消えゆく昭和ノスタルジーではなく、戦前戦後の混乱期をしたたかに生き抜いた浪速っ子の生活と文化の歴史問題なのです。
1929年(昭和4年)に開店しただるまの女将が、西成区釜ヶ崎の肉体労働者たちのために串に刺した肉を揚げて饗したのがはじまりとされる串かつは、得体のしれない闇鍋にも通じますが、貧困の中、それなりに腹持ちが良くて安いものを追及した結果の食文化。
昼間から立って酒を飲み、串かつをつまむ歴史的文化的背景まで見ずに、大阪市VS飲食店という単純な構図で語るのは誤りだ、というのが私の持論でもあり、今日の結論。
もう、アコーディオンを弾く復員兵も、物乞いをする戦傷者もこの街にはいません。
しかし、大阪の表玄関だからと、行政や経済界がやっきになって厚塗りの化粧をしても、大阪人の本質は変えることはできないのです。
万博に向けて建設された新御堂筋も、新大阪駅も、その建設の歴史をみればわかること。
この阪神百貨店が立て替われば、もう私の知る大阪駅前の原風景は消えることになります。
改造工事中の市バス乗り場から、これまた何かと批判の対象になっている市バスに乗って南森町に帰ってきました。
まだ20時前。
止まり木に立ち寄ることにしました。
バーホワイトラベル。
いつものタマゴサンド。
カウンターの中のKさんに聞くと、私が今日の口開けの客だとか。
いい呼び込みになるでしょうか。
30分ほどして、三々五々お客さんがいらっしゃいました。
コーヒーを頼まれた方がいて、目の前でサイフォンの美味しそうなコーヒーが淹れられています。
この店が喫茶店の居抜きだったことを窺わせる瞬間。
後は家で仕上げることにしましょう。
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