自由気ままな大阪暮らしもカウントダウン。
そんな土曜日の今日、ふと思い立って新幹線に飛び乗りました。
まだ行っていない尾道で、尾道ラーメンを食べようと思ったのです。
もちろんせっかく出かけるのに尾道だけでは勿体ないので、新幹線から在来線に乗り換える福山駅で途中下車。
素晴らしい天気です。
駅前の福山城を訪ねてみました。
1622年(元和8年)水野勝成が備後10万石の領主となって築いたお城です。
江戸時代建築最後の最も完成された名城としてたたえられていましたが、1945(昭和20)年8月の空襲により天守閣と御湯殿も焼失することとなります。
その後1966(昭和41)年の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復原され、天守閣は福山市の歴史を伝える博物館として藩主の書画・甲冑など展示しています。
福山駅前からバスに揺られて30分ちょっと。
鞆の浦にやって来ました。
小さな町をぶらりと散策してみます。
小鳥神社。
古い町並みが続きます。
銀行の支店も、小さな町にしては複数あり、いずれも石造りの重厚なもの。
かつてこの町が栄えたことを裏付けています。
保命酒の店がありました。
入江豊三郎本店。
保命酒の起源は江戸時代の初め、大坂(大阪)生玉神社の近くで漢方医の子息であった中村吉兵衛が鞆の浦で造られていたお酒と薬味で造ったことに始まります。
当時、瀬戸内海の港町として全国から多くの人々や物資が交わっていた鞆の浦には醸造のノウハウが集約され醸造業が栄えていました。
そこに漢方の知識が加わって保命酒が誕生したのです。
店先に保命酒の花が並んでいました。
保命酒の原酒を搾る時出来る粕を味醂と砂糖で味付けしたものです。
そのままお茶受けとして、生姜を入れて甘酒として、和え物の材料や漬物の材料などに色々と利用できます。
店内を覗いてみます。
試飲を勧められました。
もちろん断る法はありません。
少しだけ氷を入れて、ストレートに近い感覚で。
ほのかな甘味は、薬膳酒を飲みやすくしようと考えた先人の知恵でしょうか。
ずいぶんと古い屋敷があります。
幕府から命を狙われていた龍馬が潜んだという枡屋清右衛門宅。
隠れ部屋を公開しています。
坂本龍馬が暗殺される約半年前に「いろは丸事件」で立ち寄った鞆の浦。
土佐海援隊隊長、坂本龍馬が運用した、伊予大洲藩から借り受けた西洋式の蒸気船「いろは丸」は最初の航海で鉄砲を運ぶために長崎から大阪に向かっている途中、瀬戸内海、備讃瀬戸の六島で紀州藩の明光丸に2度にわたって衝突されてしまいました。
その後、近くの鞆港に曳航しようとしましたが、浸水のため宇治島沖で沈没してしまったのでした。
その後、両方鞆の浦にとどまり繰り返し賠償交渉が行われました。
堤防の向こうに見える大きな島が仙酔島。
仙酔島の中ほどには日本で唯一の5色岩があります。
青・赤・黄・白・黒の5色の岩が海岸に延々と1キロに渡って続いています。
鞆の浦から渡船で5分、太古の手つかずの自然が残る、仙人が酔うほど美しい島、そして七福神の宿る島でもあり、パワースポットとして知られています。
その手前の弁天島は小さな無人島です。
1617(元和3)年に鞆の津を訪れた朝鮮通信使の日記にも「明秀奇絶」と記され、その景観が絶賛されています。
朱塗りの弁天堂(福寿堂)が建っていることから弁天島と呼ばれていますが、正式な名前は百貫島といいます。
また広島県重要文化財の「弁天島塔婆」もあり、文化的にも価値の高いスポットです。
これらの神秘的で美しい島々を、対岸の高台から眺められるのが対潮楼(たいちょうろう)。
平安時代の天暦年間(950年頃)の創建と伝えられる真言宗の寺院福禅寺の本堂に隣接する客殿対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年頃)の創建と伝えられています。
朝鮮通信使の高官の迎賓館宿舎にあてられ、高官がこの景色を「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)と賞讃し、客殿を対潮楼と命名しました。
その仙酔島へは福山市営渡船で5分。
その渡船は、2010(平成22)年「平成いろは丸」として生まれ変わりました。
「平成いろは丸」は全長約22メートル、19トン、定員は99名と本物より小ぶりですが、船内には龍馬の写真や古い操舵輪、コンパスも設置され、レトロな雰囲気が漂い、仙酔島までの短い航海を楽しめる観光船です。
港から一本入った路地は、古い町並みが残っています。
石畳と白壁が美しい。
ここにも保命酒の店が。
保命酒に浸け込んだ16種類の生薬。
乾かして、香り袋として再利用するようです。
土産物屋ではイカやいりこなどの乾物を売っていました。
太田家住宅。
元は福山藩の御用名酒屋を務めた保命酒の蔵元「中村家」の屋敷で、明治時代に太田家の所有となりました。
瀬戸内海の近世商家建築を代表するもので、1991年に国の重要文化財指定を受けています。
実に味わい深い町並み。
アマチュアカメラマンが、熱心に撮影していました。
いろは丸展示館では、江戸期の蔵をそのまま使って、坂本龍馬が乗った蒸気船「いろは丸」の一部を引きあげ展示しています。
龍馬宿泊の家で発見された龍馬の隠れ部屋を再現したコーナーもあります。
穏やかな鞆港。
瀬戸内の中央に位置する鞆は、内海の潮の干満の分岐線にあたります。
内海を航行する多くの船はこの潮に乗っての航法であったので、「潮待ち」をここでおこないました。
このような地理的条件から、古代より「潮待ちの港」として知られていました。
江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみです。
鞆港西側の雁木の南端に立つ常夜燈(とうろどう=燈籠塔)は、何と言っても鞆の浦の一番のシンボルです。
安政6年(1859年)に建てられた船の出入りを誘導してきた燈台。
燈の高さは5.5m、基礎石は3.6mで雁木や船番所とともに鞆の港の歴史を物語っています。
12月に入りましたが、今日はとてもいい陽気です。
猫も日向ぼっこ。
思い立って来たので、のんびりしている時間はありません。
再び福山駅へバスで戻ります。
福山駅から、今度は在来線。
山陽本線に乗って、尾道へ向かいます。
今回の旅の大きな目的である、尾道ラーメンを食べに行くのです。
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