亡き父が育った町ということもあり、特別な思いのある場所です。
大阪にいる間に訪ねておきたいと、思って昨年暮れに初めて来ましたが、もう三度目になります。
呉線の快速で広島から30分ちょっと。
広島駅を出ると、すぐ右手にはマツダスタジアム。
カープ女子人気で連日満員の今シーズンでした。
湾の向こうに江田島が見えて来ました。
呉の市街地に入りました。
造船所のクレーンが見えます。
私の亡き父は、海軍士官だった祖父が呉軍港がベースだった関係でこの町で育ったのです。
まずは大和ミュージアムに足を運びます。
戦艦「大和」を建造した軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄え、戦後は、世界最大のタンカーを数多く建造する明治以降の「呉の歴史」と造船・製鋼を始めとした各種の「科学技術」を紹介する博物館。
二度目の訪問。
正しくは呉市海事歴史科学館といいます。
エントランスからホールに入ると、いきなり巨大な戦艦大和のモデルがお出迎え。
全長26.3メートルもある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現されています。
前回はボランティアのガイドさんの説明を聞きながら回りましたが、今回は自分のペースでゆっくりと見て回ります。
呉鎮守府の開庁から旧海軍や工廠ともに成長した呉の街の歴史を紹介。
戦艦「金剛」に搭載されていた「ヤーロー式ボイラー」や艦船や航空機の模型などを展示。
太平洋戦争が始まると、日本の艦艇の建造・修理をになう呉海軍工廠の役割は、ますます大きなものとなり、やがて繁忙をきわめるようになっていきます。
呉海軍工廠で建造・修理された軍艦のモデルが展示されています。
質の高い造船技術の開発が進められ、同時にそれを支える人材育成もはかられたことがわかります。
軍縮期に設定された艦艇の保有・建造制限に対応するために高められた技術の集大成として戦艦「大和」が設計されました。
「大和」型戦艦は構造がきわめて複雑で、予定通りに工事を完成させるには緻密な計画が必要でした。
また、機密保持も工廠の設備から市民生活にいたるまであらゆる面で徹底され、細心の注意が払われました。
ボランティアスタッフに熱心に質問する見学者も。
映像の解説もあり、とても興味深く「大和」について知ることができます。
昭和16(1941)年12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたりましたが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなります。戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えました。
乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していきました。
特攻に出撃した白渕 磐大尉の言葉は、戦争の愚かさと、日本の新生を願う潔いもの。
今の日本人に、そして自分にこの心があるか、と問いかけました。
大型展示資料室へ。
零式艦上戦闘機六二型、特攻兵器「回天」十型(試作型)、特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)などの実物資料で戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えます。
呉で培われた材料をつなぐ技術や目標へまっすぐ進む技術などは、現在の宇宙ロケット製造技術にも引き継がれています。
呉海軍工廠を中心に研究開発された特攻兵器「回天」は、海軍の青年士官から提案されたものです。
平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われました。
全長9メートル、重量2.5トン、乗員1名。
搭乗員の遺言は胸を打つものです。
零式艦上戦闘機の開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされました。
機体全てを金属で製作する技術、運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠からはじまりました。
前回、ボランティアスタッフのツアーではじっくり読むことのできなかった説明文などを丁寧に見て回りました。
平和の大切さをしみじみと感じる、いい展示でした。
湾側の芝生広場に出て、埠頭を歩いてみます。
造船所のクレーン群が見えます。
四国や瀬戸内の島々を結ぶフェリーターミナルから呉 艦船めぐりクルージングが出ています。
海上自衛隊呉基地は、かつて「東洋一の軍港」と謳われた、神奈川県の横須賀港と並ぶ、海上自衛隊の主要基地です。
呉艦船めぐりで観られる艦船は実に多彩。
海上自衛隊の潜水艦や護衛艦など盛りだくさん。
大迫力の艦船を間近に眺めながらの30分のクルージングは呉ならではの魅力です。
桟橋から小型の船に乗ります。
人気のクルージングのようで、ほぼ満員。
屋上オープンデッキから、潮風を感じながら見学も可能。
造船の町、呉を象徴するクレーン群。
大和のふるさと。
戦艦「大和」を建造したドックの上屋を眺めることができます。
現在、ドックは埋め立てられ、上屋だけが残っています。
双胴型のユニークな形をしたこの二隻は、潜水艦の探知を目的とする音響測定艦。
潜水艦も、潜水隊がある呉らしい艦船です。
大きなグレーの艦船群は、日本の海を守る頼もしさを感じます。
海上自衛隊自衛官OBによる説明も、わかりやすく、知識が増えました。
今年の夏に来た時は、護衛艦の見学ツアーに参加しました。
実に色んな種類の艦船がありますが、それぞれに特殊な目的があるとの説明を聞き納得。
この船の後部のラッパのようなものは、船から離れた海中を曳航して、この船と同じ音を出し、ソナー付きの魚雷の目標を逸らせるのだとか。
護衛艦いせ。
呉を定係港とする13,500トン型ヘリコプター搭載護衛艦。
巨大な貨物船。
右側の船は高速性を追求する流線型。
左側の船は積載性を重視する箱型。
呉の造船技術の高さを物語ります。
迫力ある30分のクルージング。
急に予定に組み込みましたが、価値のある楽しいものでした。
再び陸に上がって、海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)へ。
陸揚げされた実物の巨大潜水艦が目を引きます。
「潜水艦の発展と現況」や「掃海艇の戦績と活躍」などに関する歴史的な資料を通して、海上自衛隊の歴史や、呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介する史料館です。
潜水艦という限られた空間の中での生活術などを、実際に艦内で使われている什器などを用いて紹介しています。
このベッドで、実際に横になってみましたが、寝返りも打てませんし、うっかり起き上ったら頭をぶつけてしまいます。
世界各国とも、潜水艦乗務員は「選ばれしエリート」なのです。
戦前の潜水艦開発から空白のときを経て、戦後はじめての国際潜水艦「おやしお」から続く潜水艦の変遷を模型などで紹介しています。
潜水艦の基本の攻撃兵器である「魚雷」について本物の魚雷も展されていました。
3Fの展示室から繋がっている潜水艦あきしお。
艦内体験ができます。
先程も見学した寝室ですが、士官用なので、ほんのわずかベッドの上下が高いようです。
限られたスペースを最大限効率化する工夫がなされています。
艦長室でさえこの狭さ。
複雑な配管が所狭しと壁を伝っています。
操舵席。
実際に座って、案内係の方に写真を撮ってもらいました。
お馴染みの潜望鏡。
2キロ先の船が見えました。
映画などでは見たことがある操舵室ですが、この狭さで何人もの艦員が動き回るのはすごいことだと思いました。
そろそろ13時。
お昼を食べることにします。
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