この町が背負う、大きな歴史遺産を訪ねるのも目的の一つ。
宮島口から広電にゆられて50分。
朝早かったので居眠りしているうちに原爆ドーム前駅に着きました。
悲しみの涙がこみ上げる世界遺産は、ここをおいて他にはないでしょう。
原爆ドームです。
日本人が、いや人類が決して忘れてはならない事実。
広島県物産品の販売促進を図る拠点として造られた広島県物産陳列館は、大胆なヨーロッパ風の建物で、県下の物産品の展示・販売のほか、博物館・美術館としての役割も担っていました。
その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、戦争が激しくなった1944(昭和19)年3月には産業奨励館としての業務が廃止され、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材・日本木材広島支社などの統制会社の事務所として使用されていました。
原爆の投下により、建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、中にいた30人余りの人々は全員死亡したと伝えられています。
爆風がほとんど真上か ら働いたため、壁の一部は倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしました。
そして、その形から、占領が明けた頃には「原爆ドーム」という言葉が広く使われ始めました。
ほぼ二年ぶりの訪問ですが、いつ来ても大きな悲しみで胸がいっぱいになります。
深々と頭を下げ、合掌。
平和の時計塔。
3本の鉄柱がそれぞれ60度ずつひとひねりした塔上に、球体の時計がのっています。
世界人類を象徴した直径2mの球体が、平和都市ヒロシマの市民の深い祈りの手と、苦難を超え、無限に伸びていく平和への希望を表した高さ20mの鉄塔3本に支えられています。
人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻、8時15分に、毎日全世界に向けこの時計塔のチャイムが鳴るのです。
原爆の子の像。
2歳の時被爆した佐々木禎子(ささきさだこ)さんは、幸いけがもなく、元気で活発な少女に成長しましたが、10年後の小学校6年生の時に突然白血病と診断され、8
か月間の闘病生活の後、1955(昭和30)年10月25日に短い生涯を終えました。
禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。
禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちは、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけました。
やがて、子どもたちによる募金活動が始まり、全国3,100校余りの生徒と、イギリスなどの国外からの支援により、1958(昭和33)年、像が完成しました。
三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像(平和な未来への夢を託している)が立ち、左右に少年少女の像(明るい未来と希望を象徴)があります。
この「原爆の子の像」に捧げられる数多くの折り鶴を雨露から守るため、2002(平成14)年4月に、像の周囲に屋根付きの折り鶴台が整備されました。
塔の内部には、子どもたちの気持ちに感動したノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音が出るようになっています。
この鐘と鶴は2003(平成15)年に複製されたもので、オリジナルは広島平和記念資料館東館1階ロビーに展示されています。
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
平和の灯(ともしび)、平和の池に沿って歩き、慰霊碑に向かいます。
原爆死没者慰霊碑。
みかげ石で出来た慰霊碑は、はにわの家型になっていますが、犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちからこの型にしたといいます。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
説明板に「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記されています。
原爆により、1945(昭和20)年12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。
しっかりと両手を合わせ、慰霊の祈り。
陽が傾いてきました。
今回も平和記念資料館を訪ねました。
1930(昭和30)年に開館した資料館は、被爆70年を迎え、将来にわたり被爆の実相をより一層わかりやすく正確に伝えるため、展示を全面的にリニューアル中で、東館は閉館されていました。
そこで今日見学できるのは本館のみ。
原子爆弾の爆発の瞬間、空中に発生した火球は、0.3秒後には直径200メートルを超える大きさとなり、その表面温度は、7,000度にも達しました。
そして、火球から放射された熱線は、人にも、物にも大きな被害を与えました。
人影の石。
銀行の入口の階段に腰かけ、銀行の開店を待っていた人が、原爆炸裂の一瞬の閃光を正面から受け、大火傷を負い逃げることもできないまま、その場で死亡したものと思われます。
強烈な熱線により、まわりの石段の表面は白っぽく変化し、その人が腰かけていた部分が影のように黒くなって残りました。
人が身に付けてていた衣服は、強烈な熱線によって焼け焦げました。
多くの人たちが、血みどろになったボロボロの衣服を、わずかに身にまとい、瓦礫の街を逃げ惑ったのです。
被爆当日、約35万人の人たちが直接被爆したと推定され、約14万人の人たちが、その年のうちに亡くなったとみられています。
その中には、建物疎開作業現場に動員されていた、多くの中学校などの生徒たちも含まれています。
県立広島第一高等女学校1年生の大下靖子(おおしたのぶこ)さん(当時13歳)は、土橋地区の建物疎開作業に動員され、被爆しました。
同級生と2人で己斐に避難して夕暮まで民家にいたのち、己斐国民学校に収容されていたのを発見され、大竹から入市した救援隊によって大竹の両親のもとに運ばれました。
その時はまだ息があり、その日の様子を両親に語り、水を欲しがりましたが、その日の深夜、12時前に死亡しました。
県立広島第一中学校3年生の秋田耕三さん(当時15歳)は、土橋付近の建物疎開作業現場で被爆しました。
動員先の己斐(こい)の工場までたどり着きましたが、かけつけた両親にみとられて死亡しました。
美代子さん(当時13歳)は、市立第一高等女学校1年生で材木町の建物疎開作業現場で被爆し、死亡しました。
遺体は確認することができないまま、この下駄が母親によって3か月後に発見されました。
母親の着物で作った鼻緒で美代子さんのものとわかりました。
県立広島第二中学校1年生の折免滋(おりめんしげる)さん(当時13歳)は、中島新町の建物疎開作業現場で被爆しました。
8月9日早朝、母親が、弁当箱をおなかの下に抱きかかえるような姿の遺体を見つけました。
滋さんが食べることができなかったお弁当は真っ黒に焦げていました。
鉄谷信男さんの長男伸一(しんいち)ちゃん(当時3歳11か月)は、東白島町の自宅前で、三輪車に乗って遊んでいるときに被爆しました。
全身に火傷を負い、「水、水・・・」とうめきながらその夜死亡しました。
翌日自宅焼け跡で長女路子ちゃん(当時7歳)、次女洋子ちゃん(当時1歳)の遺骨を見つけた信男さんは、伸一ちゃんの遺体を焼く気になれず、一緒に遊んでいて死んだ近所の女の子と手をつながせ、焼け焦げた三輪車と共に庭に葬りました。
被爆40年目に墓所に移す決心をして堀り起こし、葬式をしました。
原子爆弾の爆発で放出された強烈な熱線により木造家屋や電柱など燃えやすいものから発火し、続いて倒れた家屋の火気などが原因で火事が発生しました。
こうして市内のいたるところで起こった火事は、爆発の30分後ころから大火となりました。
燃えるものは燃えつくし、火災がおおむね収まったのは、投下から3日後のことでした。
この黒い雨は、爆発後、市街地が大火災になるとともに、強烈な火事あらしや竜巻が起こり、爆発の20〜30分後ころから市域の北西部地域に降ったものです。
この雨には爆発による誘導放射能を受けたすすやほこりなどの放射性降下物が多量に含まれていたため、遠隔地にまで放射線の影響が及びました。
博子さん(当時18歳)は、被爆から15日後、母親が髪をすくと3回櫛を入れただけで、はえぎわの一筋を残してすべての髪の毛がすっぽりと抜けてしまいました。
袋町国民学校の火災でまっ黒になった壁に、教師や生徒の消息がチョークで走り書きされています。
市内のあちらこちらには、家族の生死や生き残った被爆者の消息を知らせる伝言が見られました。
肉親や知人の消息をたずねる人びとは、こうした伝言を探し求めて、救護所などをたずね歩きました。
焦土に咲いたカンナの花。
その年の秋、「75年間は草木も生えない」と言われた広島に新しい芽が息吹きました。
人々は、生きる勇気と希望をとりもどしました。
資料館から見る平和公園の美しい夜景。
平和記念資料館を出ました。
目の前には祈りの泉。
平和記念資料館本館の南側の広場で、原爆ドームと原爆死没者慰霊碑とを見通すことのできる直線の上にあります。
東西27m、南北19mの長円形の池に多数の噴水を設け、夜は美しくライトアップされています。
「水を水を」と言いながら息絶えた原爆犠牲者の御霊に捧げ、慰める心を込めて建設されました。
紅葉の黄色が美しい。
再び慰霊碑へ。
平和記念資料館で心を打たれる展示を見た後で、もう一度慰霊の祈り。
安らかに眠って下さい。
大田川にかかる相生橋と原爆ドーム。
原爆投下はこの橋を目標にしたといわれています。
原爆は目標をそれ、300m離れた島病院上空でさく裂しました。
多数の命と引き換えに手に入れた日本の平和。
もう一度合掌します。
世界でも、「原爆」と名の付く駅は無いでしょう。
広電に乗って、宿に戻ります。
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