この道は熊野古道のすぐ下を並走しているので、途中で色んな史跡へのアクセスが可能です。
例えば、この看板のわき道を上がれば、比曾原王子跡に至ります。
王子とは、熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願されたものです。
熊野九十九王子(くじゅうくおうじ)とも呼ばれますが、実際に99ちょうどあるわけではなく、多数あるということの喩です。
野中の清水でバイクを止めます。
谷沿いを走る現在の国道311号線からは随分と高い場所にあります。
継桜王子の前の崖下の旧国道311号沿いに湧き出る清水。
熊野詣の人々が、わざわざ道から崖下に下りて喉を潤したという名水で、日本名水百選のひとつに選定されています。
斎藤茂吉の
「いにしえのすめらみかども中辺路を越えたまひたりのこる真清水」
の歌碑も建てられています。
斎藤茂吉は、1934(昭和9)年に土屋文明とともに熊野に来て、自動車で白浜に向かう途中に立ち寄って、この短歌を詠みました。
野中の清水は、現在も地元の人たちの貴重な飲料水・生活用水として使われている湧水です。
旧道からスイッチバックして、更に一段高い道に上がります。
バイクを止めて歩きます。
秀衡桜(ひでひらざくら)。
今は時期ではないので、濃い緑をみせるのみ。
平安時代後期、奥州の豪族、藤原秀衡が滝尻の岩屋に残したわが子の無事を祈念 して、そこにあった桜を手折り、別の木にその桜を継いだという伝承があります。
その桜が無事成長すれば、わが子も大丈夫であろうという願掛けが、その通りとなったという奇跡伝説です。
今の桜は、植え継がれて何代目かになります。
更に西へと歩きます。
山沿いにある茅葺き屋根のとがの木茶屋。
予約制で名物の茶がゆなどが食べられるそうですが、今日は無人。
茶屋のすぐ西にある継桜王子(つぎざくらおうじ)。
社殿に向かう石段を挟んで杉の巨木が立ち並んでいます。
これらの巨杉群は野中の一方杉(のなかのいっぽうすぎ)と呼ばれています。
国史跡、県指定天然記念物の名木で、継桜王子の境内を覆うかのようにそびえる樹齢800年の杉の巨木群です。
すべての枝が南の方角、すなわち那智山の方角を指しているといわれるご神木です。
「一方杉」と呼ばれる由縁は、杉のすべてが熊野那智大社のある方向(南)にだけ枝を伸ばしているからです。
生物の生態を知る上でも貴重なものと言われていますが、まるで那智を遥拝しているかのように見ることもできます。
最大のものは幹の周りがおよそ8mもあり、老木の空洞は、優に20人の大人が入れるほどの広さがあります。
王子社は石段を登りきった所に祀られています。
この王子は若一王子権現ともいわれ、野中(のなか)の氏神になっています。
明治42年に近野神社に合祀されましたが、 社殿はそのまま残されて祀りつづけられ、戦後になって、ご神体を戻し、復社を果たしました。
「野中王子」とは呼ばれずに、先ほどの秀衡桜の奇跡をもって継桜王子と呼ばれました。
更に熊野古道を東に進むことにします。
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