私の自宅近く、毎日歩く通勤路の途中にある酒房 花房。
隣に販売所という看板も出ているので蔵元直営の店なのか、と気になっていました。
比較的早く閉まる店のようで、残業で遅くなるとシャッターが下りています。
開いているときは暖簾の隙間から中を覗くのですが、それほど繁昌しているようではありません。
しかしいつも数人の客がいるので、店構えからして間違いなく地元の常連だろうと知れます。
先週残業帰りに意を決して引き戸を開けて中を覗きました。
いかにも枯れた店内のカウンターの内側には意外にも女性が。
「あの、もう閉店ですか?」
「ええ、今日はお客さんがいなかったので。いつもは22時までです」
「あ、じゃあまた寄せてもらいます」
そして今日こそは、と21時頃に暖簾をくぐりました。
所々綻びた暖簾に時代を感じます。
カウンターの中には先日お話したママさんが。
そしてL字カウンターの突き当りには三人の年配の常連客。
全員が私を不思議そうな目で見ます。
「やっぱり場違いだったかな、スーツ姿では」
と思いましたが、そんな事では下町居酒屋探検家の名が廃ります。
ここは落ち着いて振舞わなければ。
まずは
生ビール。
ママさんも店の雰囲気にそぐわない闖入者にいささか戸惑い気味。
何をどう頼んでいいのか、システムもよくわからずに店内を見回しているとママさんが助け舟。
「とりあえず
おでんなんかどうですか?」
どうやら先日顔を覗かせたのが私だとはわかっていないよう。
ショーケースの上に干物類があるのが目についたので、
味醂干も注文。
さっと炙った
味醂干も出て来て、ちょっと落ち着きました。
厨房の壁にメニューを見つけました。
きずしと書いてあったのでそれを注文すると「あんまり出ないんで置いてないんです」と言われて戸惑う私にママさんが「書いてあっても無いものがあるので、食べたいものを言って下さい。さっぱりしたものとか野菜とか」
「ああ、そうなんですか。じゃあさっぱりしたのがいいかな」
「えのきポン酢なんかどうですか?しめじでもできますよ」
「じゃあ、
えのきで」
「フライパンにします?それとも網で?」
随分と細かい指定が出来るようです。
「
野菜炒めとか
焼きうどんなんかもできますよ。その日にある材料でお好みに作れますから」
なるほど、野菜不足解消と残業メシの一石二鳥に使えそう。
それにしてもママさんはなんとも曰く有りげな美人。
常連客たちは妖艶ながらもチャーミングなこのママさんと喋りたいから来ている、という下心も見え隠れ。
奥の三人は私に興味津々。
しかも手前の二人はかなり出来上がっている様子。
私が東京から単身赴任で来た、というママとの会話が耳に入ったのか、真ん中に座っていた70過ぎと思われる一番年配の禿頭氏が「兄さんはワシらとは違うんや。パリッとして、アタマもええし大企業の部長さんやろ。なぁ、そや、商社やろ?」と大阪の居酒屋で必ず始まる身上調査。
手前の赤顔氏はほとんど呂律が回らないものの「兄さんみたいな若いエリートがこんな店に来るとはなぁ」みたいなことをベロベロにしゃべっています。
ママさんは「う~ん、お客さんは金融関係とちゃいます?銀行とか証券とか。こういう店には来はれへん人やね」
と寄ってたかって私の正体を暴こうとします。
「じゃあ、当たるまでは言いません。多分当たらないから」と私も応酬。
結局私は名前だけは白状したのですが、たちまち一番奥にいた鼻髭氏から「ちゃん付け」で呼ばれることに。
どんだけフランクなんや、このおっさんら。
花房という名前はやはり想像していたとおり酒蔵の名前。
ママさんは元々は南森町の土地持ちの資産家のお嬢さん。
花房酒造は昭和31年(1956)創業、蔵は西宮にあったそうですが、震災で廃業。
彼女はこの地で20代から30年以上この酒場を経営してきたとか。
下町酒場の女将らしい妖艶さがありながら、聡明かつお嬢さんっぽい独特の雰囲気の由縁はそこにあったようです。
お酒は芋焼酎のロックに。
なんとグラスに並々と注がれて出てきました。
腰を上げた禿頭氏は随分とご機嫌で、さっき知り合ったばかりの私を近所の寿司屋に連れて行くといって聞きません。
ママさんが捌いてくれて私は引き続き飲み続けることに。
もう少しツマミたいと思い、ママさんに相談。
「じゃあ、私流の
玉子焼きはどう?
ネギと
鰹節と入れて。
納豆も入れましょうか?」
卵4個を使ったボリューム満点の
玉子焼き。
時計は22時を回り店じまいの時間。
「金曜日はネタが少ないから、また別の日に覗いてみて下さい」
とママさんに見送られて店を出ました。
すっかり浪速のおっさん達の毒気に当てられた私は、帰り道で止まり木のバーホワイトラベルにドロップイン。
先日キープしたウイスキーのソーダ割り。
今日もマスターの紹介で業界の方と名刺交換。
どんどん広がる人脈と楽しい会話で夜も更けていきます。
ハードだった年度末、そして単身赴任の3ヶ月を思い起こし、頑張った自分に乾杯です。