「50年続いた築地の魚竹が年内で閉店」
という衝撃的なニュースをSNSで知ったのは11月。
1987年の東京転勤以来、自分へのご褒美として美味しいお魚ランチを頂いてきたお店です。
本社が築地から新橋に移り、私が大阪に転勤したり虎ノ門に出向したりと間が空いた時期はあるものの、37年間お世話になった私には特別な思い出が詰まっています。
なんとか時間を作って、やっと築地を訪れたのは12月6日(金)の12時。
出遅れたせいで、行列は20人以上並んでいるようです。
路地の角を曲がってお店が見えるまで丁度1時間。
行列の先頭に辿り着くまで更に15分。
懐かしい店構えと暖簾は、37年前と変わっていないように思えます。
しかし、50年の歴史に幕を閉じるお知らせの貼紙を見ると、この店と初めて出会ってから、とてつもない年月が流れたのだと実感します。
まだ売り切れてはいないようです。
古いお店ですが、いつも掃除の行き届いた厨房に、この店の矜持を感じます。
「お久しぶりです!」
と弟さんに声をかけられます。
近年の挨拶の定番はこれ。
前回来たのは一年半前ですから、いかに不義理をしているか、という証でもあり忸怩たる思いです。
イケメン兄弟もさすがに年を取りましたが、それは私も同じこと。
「ご注文は?」
と聞かれて
「鮭となかおち。お浸しと玉子焼きをお願いします」
と答えます。
お浸しはブロッコリーと小松菜があるとのことで、小松菜を注文。
玉子焼きは、なんとこれから焼いてくれるそうで、アツアツが頂けそうです。
「今日は、ご飯は?」
「ややおもでお願いします」
何度も繰り返された儀式をつつがなく終えて、ホッと一息。
食べたいものが最後に全部食べられるのです。
ランチの基本セットがのったお盆が運ばれてきます。
裏方とホールを仕切る奥さんたちも、本当に優しい。
味もさることながら、この店の接客が気持ちよくて通っていたと言っても過言ではありません。
ややおも(やや大盛)のご飯には小梅。
日の丸弁当のようなビジュアルが可愛い。
ご飯はお代わりもできますが、私はずっとこのスタイル。
味噌汁マニアの私が過去食べた中で、群を抜く旨さの魚竹の味噌汁。
これもお代わり自由。
白菜の浅漬けとワカメの酢の物とも、もう会えないかと思うとしんみりしてしまいます。
そこへおかずが出て来ました。
なかおちのセットは贅沢な気分。
昔から、嬉しい事があった時や落ち込んだ時、自分へのご褒美や励ましとして一品追加していた事を思い出しました。
美味しそうな焼き色の銀鮭照焼。
たっぷりの大根おろしが嬉しい。
最初は中落をオン・ザ・ライスで。
続いて、お兄さんの手による絶妙な焼き加減の銀鮭照焼もオン・ザ・ライス。
しっかりと味わって。
もう二度と食べられ無いのですから。
そこへ玉子焼きも出て来ました。
焼き立てのアツアツ。
固めでほんのりと甘みを感じる江戸の味。
大阪の出汁巻き文化で育った私ですが、いつの間にかこの味がスタンダードになりました。
もう人生の三分の二近くは東京なのです。
新鮮でシャキシャキした食感のお浸しも、実に美味。
せっかくですから、白菜の浅漬けもワカメの酢の物もオン・ザ・ライスで。
銀鮭と大根おろし、玉子焼きや中落ちも、ややおものご飯と合わせます。
ひと口ひと口、大切に自分の記憶に刻むように。
味噌汁はもちろんお代わり。
二杯目は、お椀ももちろん、必ず具を変えてくれる憎いサービス。
これでもかというくらい入った油揚げに、私はとても幸せな気分です。
少しずつ少しずつ、じっくり味わって食べ進みましたが、いよいよ魚竹ランチの最後の時が迫ってきました。
ここで、三杯目となる味噌汁を頂きます。
「どうぞ寄せ書きを書いていってください」
と声をかけられました。
築地時代はランチこそよく通いましたが、夜は年に一回くらいしか行かない、常連とも言えない私にも温かい言葉をかけてくれて感無量です。
初めてこの店に来た時は、私はまだ未婚の26歳の駆け出しサラリーマンだったことが、昨日のことのように思い出されました。
ごちそうさまでした。