天草に渡る前に立ち寄ったのは三角西港。
世界文化遺産に登録申請している「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成遺構の一つ。
当時の石積埠頭などがそのまま残っています。
ここからは天草五橋のひとつ目の橋が見えます。
これからあの橋を渡って天草に渡るかと思うと、興奮します。
あまりにも遠いこの地に、しかもバイクで来ることなど一生無いと思っていたからです。
ひとつ目の天門橋を渡って上天草にある天草四朗メモリアルホールへ。
マリア様の白いベールを模したユニークな外観の建物。
ここで天草四朗や島原の乱についておさらいし、学生時代の錆ついた知識を蘇らせます。
残りの四つの橋を渡って天草島の上島へ。
海岸沿いを走る国道324号線から、煙を上げる雲仙岳が見えます。
ロザリオラインと呼ばれる国道324号線は、またの名を有明タコ街道といいます。
有明海名物のタコを供する店が多い事で知られています。
ちょうど12時に道の駅 有明リップルランドを通りかかったので、ここでランチにしました。
レストランに入ります。
もちろんタコ料理から選びます。
窓際の席からは、雲仙が手に取るように見えます。
名物のタコ天丼にしました。
大きなタコの天ぷらがゴロゴロのっています。
小鉢もタコ酢。
野菜サラダ。
ミニうどんが付いていました。
早速頂きます。
太いタコの足は、プリプリと歯応えがあってとても美味しい。
ボリューム満点でなかなか減りません。
何とか完食しましたが、満腹です。
外のテイクアウトコーナーではたこたこ焼と直径7センチというビックリ焼というものを売っていました。
もちろん名産のタコを使用。
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ランチを終えて、更に天草島の西を目指します。
下島に渡り、山の中を抜けて走る事1時間。
ようやく西の海岸に辿り着きました。
朝8時に八代を出て、もう13時半。
いかに天草島が大きく、遠いかがわかります。
途中には天草ちゃんぽんの人気店EAT 730も。
当初はここで食べようかと考えていたのですが、連日ランチが遅かったので、今日は道の駅で12時に食べたという次第。
ようやく目指す天主堂に着きました。
穏やかな羊角湾を臨む崎津の漁村に建つこの崎津教会は、「海の天主堂」とも呼ばれています。
教会が建つ漁港一帯は、平成23年には「国の重要文化的景観」にも選ばれています。
小さな漁村の狭い路地を抜けた先に教会はあります。
明治以来3回の建て直しが行われた現在の教会は、昭和9年、ハルブ神父により創建されました。尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式です。
この教会は1569年(永禄12年)にアルメイダ神父により創建され、ここを中心にキリスト教は天草で栄えました。
しかし1638年(寛永15年)に禁教令が天草で実施されてから、特にこの崎津では厳しい弾圧の嵐が吹き荒れました。
正面の祭壇がある場所は、禁教時代に厳しい踏絵が行われ、激しい弾圧を受けながらも240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきました。
中に入ると、堂内は畳敷きになっています。
日本の田舎の習俗と混合したユニークな信仰形態と言えるでしょう。
厳しい弾圧の歴史に思いを馳せました。
崎津教会からバイクで10分ほど北に行くと、小高い丘の上に天主堂が見えて来ます。
大江教会。
天草での伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が、昭和8年、地元住民と協力して建てた白亜の教会です。
キリスト教復興の象徴的存在。
ロマネスク建築で、広く高い天井の聖堂の内部もステンドグラスも優美な色使いで、厳粛な気持ちになると同時に、とても優しい気持ちになります。
今日は島原まで渡らなくてはなりません。
1時間に一本のフェリーに乗り遅れないように、国道389号線、通称サンセットラインを北へ向かいます。
途中にある妙見浦から北に延びる断崖絶壁と奇岩の数々。
無事、フェリーに間に合う時間に鬼池港に着きました。
駆け足での天草の旅。
とても感慨深いものとなりました。
いつかまた来れる日が来るだろうか、と思いながら離れていく島影を見つめました。
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リップルランド 物産館レストラン (定食・食堂 / 天草市その他)
昼総合点★★★☆☆ 3.0
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