もう一か所ここで見ておきたい場所がありますので、ハンドルをそちらに向けます。
原城跡。
島原湾と天草を臨むこの場所は、島原の乱終焉の地。
この小高い丘がかつての城跡。
1637年(寛永14年)に勃発した島原の乱は、天草の群衆も合流し、3万7千人もの一揆軍が1638年(寛永15年)に廃城となっていた原城に立てこもります。
率いていたのは、16歳とも18歳とも言われる天草四朗。
3か月に及ぶ籠城に、一揆側は弾薬・兵糧が尽き果てます。
対する幕府軍も1千人の戦死者を出しながらも新手を投入し、ついに総攻撃で一揆軍を壊滅させました。
一揆軍は老人や女子供に至るまで一人残らず皆殺しにされたといいます。
殉教を重んずるキリシタンの信仰ゆえに全員が喜んで死を受け入れた、と幕府軍の総大将であった松平輝綱は『島原天草日記』に記しています。
果たして本当に喜んで死を受け入れたのか、その皆殺しが正義のもとに行われ事であったとしても、正しかったことなのどうかは疑問ですが、尊い多数の命が失われたことは事実。
乱の終結後、幕府軍は原城を徹底的に破壊し、殺された一揆軍3万7千人の遺体は廃墟となった原城の敷地内にまとめて埋められました。
今はただ、有明海からの風が、この丘に吹きつけるばかりです。
今日一日の私のキリシタンの歴史の旅も、ここで幕を閉じました。
ゆっくり温泉に浸かって一日の疲れをとります。
お一人様の格安プランの私の晩ご飯は宴会場に用意されていました。
豚しゃぶメガ盛りプラン。
豚肉は300g。
ちょっと食べきれないかもしれません。
前菜の盛り合わせ。
酢の物は南蛮漬け。
生ビールを頼みました。
一日中バイクで200キロ走って、温泉に浸かった後だけに格別の味。
本日のお献立。
豚しゃぶの出汁は土鍋に張られています。
ゴマダレとポン酢醤油。
秋刀魚のつみれ汁が先吸として出てきました。
テーブルの上は次第に大変なことに。
出汁が煮立ってきたところでしゃぶしゃぶを始めます。
ゴマとポン酢の両方で食べてみました。
ご飯はお米から炊く方式。
お味噌汁も温めます。
豚しゃぶを大分食べたところで火をつけてもらいました。
野菜もしゃぶしゃぶ。
お酒を飲むことにしました。
やっぱり焼酎を。
白岳のロックにしました。
まだ、熊本の余韻が自分の中にあります。
先ほど火をつけてもらったお釜も湯気を吹き始めました。
そこへ、まだ料理が出てきます。
じゃがいもの石垣。
美味しいのですが、そろそろ味覚が曖昧になってきました。
浴衣の帯も緩めたい位。
ご飯が炊きあがりました。
これは美味しそうです。
食べられないだろうとわかっていながら、お茶碗によそいます。
そこへ追い打ちをかけるように〆の素麺が出てきました。
「お代わりは自由ですから、どうぞ」
と言われても、初回の素麺すら食べられそうにありません。
お新香も。
豚しゃぶをオン・ザ・ライスで。
お新香も。
白波のロックをお代わり。
何をどうやっても食べられそうにないだろうボリュームの素麺。
いくら好物とはいえ「ものには限度がある」ということわざを思い出しました。
それでも果敢にチャレンジし、何度か素麺を投入。
同じ味のものは、もう無理。
味噌汁に入れてにゅうめん風に。
さらにご飯も味噌汁に投入。
お行儀は悪いとは分かっていますが、美味しいのは事実。
なんとか残さないようにという、食にうるさい自分の偏屈なポリシー実現にために邁進します。
そして、これがまた旨いから困ったもの。
素麺は煮詰まった出汁のなかで飴色に変化しています。
やはり食べきれませんでした。
しかも初回の盛を半分以上残すという体たらく。
デザートはミルクプリン。
本当にもう何も入りません。
食後にもう一回温泉に浸かりそのままダウンしました。
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夜総合点★★★☆☆ 3.1
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