貴船川にかかる小さな橋を渡った所が西門。
ここで、愛山費300円を支払いますが、私は叡山電車の「鞍馬・貴船散策チケット」というお得なチケットを購入したので、その費用は込み。
鞍馬山では、お山自体を尊天の御身体と考えており、お山の清浄さを保ち、豊かな自然を守ることが何より大切ということで、愛山費と称する拝観料を集めて整備費に充てています。
このような考え方のもと、参拝者の安全を確保しつつ、参道は、地道のままにし、倒木は、出来るだけそのままにして、空間や時間や「いのち」の大いなる自然の循環を妨げないようにしているそうです。
受付の女性に
「杖を持って行くと楽ですよ」
と言われ、使うことにしました。
いきなり急な斜面が続きます。
険しい山道ですが、手すりもあり、足元も地道ながらも整備はされていますので、高齢者でもゆっくりなら登ることができます。
豊かな自然がそのまま残る山道です。
山道の先にお堂が見えました。
西門から登って最初の建物が魔王殿です。
「魔王殿」は太古、護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝されてきました。
既に汗だくで、息が上がっています。
水を飲みながら、しばし休憩。
ゆるやかなアップダウンの続く木の根道。
根が地表面でアラベスク模様を描くのは、この辺り一帯の砂岩が、灼熱のマグマの貫入によって硬化したために根が地下に伸びることが出来なかったからです。
牛若も「木の根道」で兵法修行をしたと伝えられています。
もう少し登った所に義経堂があります。
奥州で非業の死を遂げた義経の御魂は、懐かしい鞍馬山に戻り安らかに鎮まっていると伝えられ、遮那王尊として祀られています。
この辺りは、牛若が天狗に兵法を習った「僧正ガ谷」です。
「大杉権現社」前方の小径を行くと、「背比べ石」から直進していた道と合流し、不動堂に出ます。
ここには、伝教大師、最澄が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王が奉安されています。
山深いところに紅葉が見えました。
尾根を越えて鞍馬側は石の階段が整備されていて、少し歩きやすくなります。
小さなお堂が見えました。
ここに背比べ石があります。
平家が父の仇であることを知った牛若は奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔します。
その際、名残を惜しんで、この石と背比べをしたと伝承されています。
ここからは下り坂。
だいぶ下山してきました。
本殿まであと少しです。
屏風坂の地蔵堂。
紅葉のあたりに、本殿の屋根が見えました。
ようやく本殿に着きました。
久し振りの山歩きは大変でしたが、パワースポットを体感し、マイナスイオンをたくさん吸収しました。
本殿は宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場です。
御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。
本殿金堂前の金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっています。
本殿前からは、東に比叡の山並みが見えます。
このあたりが、京都の、そして日本の山岳宗教の主要な地域であることがわかります。
中門。
元来、山麓の仁王門の横にあって勅使門または四脚門と呼ばれ、朝廷の使いである勅使の通る門でしたが、この場所に移築されました。
双福苑は、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇し、傍らには、福徳の神である「玉杉大黒天」「玉杉恵比寿尊」の祠があります。
由岐神社。
祭神の「靫明神」は、940(天慶3)年天慶の乱が起きたので朱雀天皇の勅により、鞍馬寺に遷宮し、北方鎮護を仰せつかった鎮守社です。
有名な「鞍馬の火祭」は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものだと伝承されています。。
京都市天然記念物に指定されている大杉。
山門に向かって下りて行きます。
階段の下が由岐神社の拝殿。
奥の院から回ってきましたので、逆向きに抜けることになります。
魔王の滝。
仁王門(山門)は明治44年の再建。
左側の扉は、 寿永の頃(1182~4)のもの。
これからお参りをする人たちとすれ違います。
西門からの方が、最初は険しいですが、登る距離は短いと感じました。
ちょうど12時を回った所です。
早起きして、山登りもして、お腹も空きましたし、お昼にしましょう。
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