朝10時に弟がホテルに社用車で迎えに来てくれました。
タイ人運転手さんなので、道路事情の悪いバンコクでも安心です。
メーデーで全国的にお休みとあって、アユタヤ遺跡まで一時間半かからずに着きました。
今日はメーデーでタイは基本的にお休みなので、道も空いていたのです。
遺跡巡りの前に腹拵え。
ドライバーさんオススメのローカルレストラン「ก๋วยเตี๋ยวเรือวัดใหญ่(วัดใหญ่ไก่ฉีก)」へ。
全く読めませんが、オープンエアのオオバコ食堂です。
窓が無いので窓際と言っていいのかわかりませんが、通り沿いの席に案内されました。
よく見るとテーブルがミシン台のリサイクルだったりと、なかなかユニーク。
ここは、ボートヌードルと呼ばれる小ぶりのヌードルが名物。
タイの水上マーケットで食べられていた小さなスープヌードルがルーツです。
小さなサイズのヌードルを自分が食べたい分注文し、食べ終わった器を積み上げながら食べ進めるスタイル。
わんこそば的なものとも言えます。
麺の種類とトッピングを選びます。
私は太麺に鶏肉を合わせました。
ミネラルウォーターを頼むと、氷を入れてくれます。
ちょっと意外なサービス。
あっという間に出てきます。
ボートヌードルは、確かに小ぶり。
それよりも驚いたのは、スープの色と麺の太さ。
濃厚な黒褐色のスープを一口。
見た目ほど濃くも辛くもなく、ただ複雑なスパイスを感じます。
日本人には、材料がわかりかねる味ですが、かなり旨い。
ひらひらの極太平打ち麺は、ワンタンかと見間違えるほど。
そして鶏肉も甘辛くしっかりと煮込まれていますが、やはり独特のスパイス感。
量が少ないのであっという間に食べ終わりました。
弟は麺を変えてお代わりしていましたが、私は夜に備えて一杯で我慢した。
さあ、これから炎天下、アユタヤ遺跡観光です。
タイの長い歴史の中でも最大の王朝と言われています。
遺跡の点在する中心部は「古都アユタヤ」として世界遺産に登録されており、アユタヤ歴史公園として整備されています。
最初に訪れたのは、ランチを食べたお店の目の前にあるワット・ヤイチャイモンコン(วัดใหญ่ชัยมงคล)。
高さ約72メートルの仏塔は、遠くからも見えるアユタヤのランドマーク的存在です。
1592年のビルマ(現ミャンマー)との戦いで勝利した記念塔です。
仏塔の内部を上がると深い井戸のようなものがあります。
ここからコインを落として、「トレビの泉」よろしく再訪を願います。
仏塔の上部には回廊があり、歩いて回ることが出来ます。
ここに来て下を眺めると、この場所がいかに仏像が多いかがよくわかります。
ここからは、アユタヤを一望することが出来ます。
1592年のビルマ(現ミャンマー)との戦いで勝利した記念塔です。
ここからコインを落として、「トレビの泉」よろしく再訪を願います。
仏塔の上部には回廊があり、歩いて回ることが出来ます。
ここに来て下を眺めると、この場所がいかに仏像が多いかがよくわかります。
寺院に多い朱色の屋根と木々の緑のコントラストは、とても美しい。
二番目に訪れたのはワット・マハタート(วัดมหาธาตุ)。
ワット・マハタートがいつ、どのように出来たのかは複数の説があります。
一つは1369年にラーメスアン王が建てたというものです。
アユタヤ王朝は1765年から2年間、侵攻してきたビルマ(ミャンマー)と泰緬戦争になりました。
ここで敗れて王朝は約400年の歴史に幕を降ろします。
その時、この寺院は徹底的な破壊を受け、それが今でも無惨な姿で残されているのです。
信仰深いタイの人々にとって、心の拠り所までも壊されるあまりにも辛い経験であったことでしょう。
アユタヤの象徴ともいえる砂岩で出来たこの仏頭は、1600年代中頃に胴体から地面に落ちたと言われています。その後、木の成長とともに根元にとり込まれ、現在の姿となったと伝えられます。
無惨に転がる仏像の頭部を哀れに思った村人が壁に立てかけたところ、いつしか木の根が優しく包み込んでいったという伝説の残る、神秘的な仏像の顔。
悲しい歴史の中で穏やかに微笑むその顔は、ワット・マハタートのみならず、悲劇の道を辿った古都アユタヤの象徴と言えます。
今でも初期アユタヤ時代(1351-1491)の建築様式を残す仏塔は当初、44mの高さであったと言われています。
今でも初期アユタヤ時代(1351-1491)の建築様式を残す仏塔は当初、44mの高さであったと言われています。
1633年の修復時、高さは50mまで増されました。
しかしながら戦争の悲惨さを後世に残そうとの意図から、あえて残されているのです。
アユタヤ王朝初期の建築様式であり、木の根元で奇跡的に残っている仏頭と、破壊された仏像の数々を見ることが出来るワット・マハタートは、世界遺産アユタヤ観光では外せない場所でした。
続いて訪れたのは、ワット・ナープラメーン(วัดหน้าพระเมรุ)。
13世紀の建立という歴史あるワット・ナープラメーンは、ビルマ(ミャンマー)の侵攻からも被害を免れてた貴重なお寺です。
アユタヤ王朝初期の建築様式であり、木の根元で奇跡的に残っている仏頭と、破壊された仏像の数々を見ることが出来るワット・マハタートは、世界遺産アユタヤ観光では外せない場所でした。
13世紀の建立という歴史あるワット・ナープラメーンは、ビルマ(ミャンマー)の侵攻からも被害を免れてた貴重なお寺です。
中央の奥に大きな金色の仏像が鎮座しています。
手前の仏像は、参拝に来た人が金箔を買って貼り付けていました。
タイ人の好きな「徳を積む」行為です。
信心深いタイ人が、床に頭をこすりつけて深々と拝礼するのが印象的でした。
次は「象乗り」です。
アユタヤ・エレファント・キャンプへ移動します。
移動は弟の社用車で、ワゴンなので快適。
何より、遺跡巡りで汗だくになった身体がエアコンでクールダウンできるので、昨日のようバンコク市内を終日歩き回った観光と比べれば、天と地ほどの差があります。
多くの象が庇の下で休んでいます。
可愛らしい小象がいました。
象乗り場へ。
200バーツ払って行列に並びます。
順番にやってくる象の背中に据え付けられた椅子に妻と横並びで座ります。
いざ、出発。
18年前にプーケットに旅行した時に乗って以来。
敷地を出て、公道を横切ります。
日本では考えられない光景。
プーケットでは、山の中でしたので、違和感を感じます。
象使いが、所々のフォトスポットで止まってくれるので、そこで写真を撮ります。
しかし、象と一緒に乗っている自分たちの写真を撮れないのが難点です。
遺跡のお堀のそばで水飲み。
再び乗り場まで戻ってきました。
チップは一人20バーツで40バーツ渡しました。
もともとは、王の母親の宮殿があった場所とされる地。
寺院建設には20年の歳月を費やしたとされています。
寺院建設には20年の歳月を費やしたとされています。
細やかで美しい建築は、亡くなった母親への思慕が感じられます。
その中心は、チャオプラヤー川などに囲まれた中州。
“アユタヤ島”と呼ばれる、川に囲まれた島のような中州(東西約7キロメートル、南北約4キロメートル)に、定番の人気観光スポットが集まっています。
これに対してアユタヤ島の南西、川を隔てた対岸、つまり島から出た場所にある寺院が「ワット・チャイワタナラーム」。
見どころは、敷地の中心にそびえる高さ35メートルの大仏塔。
4つの小仏塔にはそれぞれ回廊が取り巻き、“アンコール・ワット様式”と呼ばれる建築スタイル。
これに対してアユタヤ島の南西、川を隔てた対岸、つまり島から出た場所にある寺院が「ワット・チャイワタナラーム」。
「ワット・チャイワタナラーム」では、寺院内でも最も主要な部分に大仏塔を置き、これを中心に4つの小仏塔を四方に配置しています。
見どころは、敷地の中心にそびえる高さ35メートルの大仏塔。
4つの小仏塔にはそれぞれ回廊が取り巻き、“アンコール・ワット様式”と呼ばれる建築スタイル。
華やかな文明を築いたアユタヤ王朝の栄枯盛衰が感じられます。
“愛の運命”というタイのテレビドラマのロケ地となったことで話題を呼び、タイの伝統衣装を着て参拝するタイ人女性が急増中だとかで、確かに貸衣装を来たタイ人女性が記念写真を撮っているのをかなり見かけました。
ドラマティックな恋愛成就を祈願する恋愛パワースポットになっているのでしょう。
日本人は殆ど見かけませんでしたので、弟のおかげでアユタヤ観光の穴場を観光することが出来ました。
これから一路南西に2時間ほど移動し、晩ご飯のお店があるナコーンパトム県に向かいます。
ก๋วยเตี๋ยวเรือวัดใหญ่(วัดใหญ่ไก่ฉีก) (タイ料理 / アユタヤ)
昼総合点★★★☆☆ 3.3
ก๋วยเตี๋ยวเรือวัดใหญ่(วัดใหญ่ไก่ฉีก) (タイ料理 / アユタヤ)
昼総合点★★★☆☆ 3.3
0 件のコメント:
コメントを投稿