2015年10月4日日曜日

7泊8日北陸ツーリング②【1日目】 「火サス」の東尋坊と「ゆく年くる年」の永平寺。子供の頃から知りたかった、その謎を確かめに

2時間ドラマを見ていると、突然刑事と容疑者が断崖絶壁にワープして、自供を迫るシーンがよくあります。
崖っぷちに追い詰められた容疑者は、まさにその崖っぷちの心境で、遂に自白、となるわけです。
しかし、子供心に
「どうして取調室じゃなくて、崖に行くのかな。そもそも容疑者が刑事と二人でノコノコそんな所に行くかなぁ」
と思っていました。
今日は、その謎解きにやって来たのです。
越前の名勝、東尋坊


この俗化された観光地に、誰にも気づかれずにやって来て、そして二人きりになるのはどうやっても無理だと、改めてわかりました。


その昔、奥越(福井県東部の山間エリア)に、僧兵を有して隆盛を極めていた平泉寺(へいせんじ)という寺があり、そこの僧兵の中には、極悪非道の振舞いで、近郷の民百姓を大変苦しめていた者もいました。
その旗頭であったといわれる暴僧が「東尋坊」でした。

東尋坊には「あや姫」という娘をめぐる恋のライバル「真柄覚念」(まがら かくねん)がいました。
1182(養和2)年4月、平泉寺の僧兵数十人が東尋坊を訪れ、酒盛りをしていたとき、真柄覚念は東尋坊に絶壁の上で酒や肴をすすめ、泥酔させ、隙を見て絶壁の海へ突き落としてしまいました。
その後、49日間にわたって東尋坊の無念により、海は大荒れとなり、それからこの地が東尋坊といわれるようになったとのことです。
そのいわれからすると、突き落すかどうかはさておき、策を弄する地であることは確か。


岩場の先端に人がたくさんいます。
やはりどう考えても、刑事と容疑者が二人きりになるのは不可能です。


私も先端に行ってみることにしました。
確かに入り組んだ入り江を上からのぞくと、ゾクッとします。
容疑者が自白したくなる気はわかります。


別の岩場にも行ってみることにします。


複輝石安山岩の柱状節理で、これだけ大きな規模の柱状節理の安山岩は日本でもここ一ヶ所だけ。
朝鮮半島の金剛山、スカンジナビア半島ノルウェー西海岸とともに、柱状節理世界三大絶勝の一つになっています。


海岸まで下りてみます。


日本海の荒波が砕け、白波が飛び散る断崖絶壁。
波の浸食を受けて芸術的な岩が形成されています。
今日は天気がいいので、日本海特有のどんよりした暗いイメージではありません。
海の色もとても綺麗です。


別の岩場にも行ってみます。


確かにここに追い詰められると、犯人も観念する気持ちはわかりましたが、やっぱりどうやってここに連れてくるのかという謎は、解明できませんでした。




天気が良くて、暑いくらいです。
東尋坊を後に、永平寺へ向かいます。
参道へのアプローチ。



門前の大きな石作りの標柱の前でバイクと記念写真。


永平寺は、今から約760年前の1244(寛元2)年、道元禅師によって開創された出家参禅の道場。


参道を歩いて見学受付へ。


拝観料を払って中へ。
修業僧が、永平寺の歴史と全体像を説明してくれます。

大佛寺山に拠って、渓声山色豊かな幽邃の境に七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。
今もつねに2百余名の修行僧が、日夜修行に励んでいるそうです。
境内は約10万坪(33万平方メートル)の広さをもち、樹齢700年といわれる鬱蒼とした老杉に囲まれた静寂なたたずまいは、出家道場にふさわしい霊域です。

「お寺の中は何を撮影いただいても結構ですが、フラッシュを使わないことと、修行僧は写さないことだけはお守りください」
との説明。


最初の見どころは傘松閣(さんしょうかく)
昭和5年(1930年)の建築。
222畳敷きの大広間があり、天井画は川合玉堂、伊東深水など計144名の画家によって描かれました。


七堂伽藍は廊下でつながれています。


手入れの行き届いた、美しい境内。
庭の手入れも修業の一つ。


階段を上って承陽殿(じょうようでん)に向かいます。


途中で左手に承陽門が見えます。


度々の火災に遭い、1881(明治14)年にこの地に再建。
本殿には御開山道元禅師の御霊骨と二代尊の御霊骨が奉祀され、更に、五代尊(二世孤雲懐弉禅師・こうえんじょう、三世徹通義介禅師・てっつうぎかい、四世義演禅師・ぎうん、五世中興義雲禅師・ぎうん)までの木造も安置されています。


この承陽殿は曹洞宗の発祥の根源です。
修行僧からも、ここは是非お参り下さいと勧められた場所。


七堂伽藍の中でも一番大きい法堂(はっとう)



永平寺の伽藍で一番高いところにあり、間口18間、奥行14間の広さ。
高僧が法門を説いたり、法要等の儀式が執り行われる建物で、一般の寺院でいえば本堂に当たります。
1843(天保14)年、永平寺57世載庵禹隣禅師(さいあんうりんぜんじ)代に再建されたもの。


須弥壇(しゅみだん)中央は藤原時代作の聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を祀り、中央階段の左右には阿吽(あうん)の白獅子が置かれています。
また、天井には八面鏡をつけた「八葉蓮華鏡(はちれんげきょう)」が吊られ、中国宋代の形式を守っています。


仏殿(ぶつでん)
七堂伽藍の中心に当たり、本尊が安置されている中国宋時代の唐様建築が美しい総檜造りの建物です。


1902(明治35)年、高祖大師350回忌を記念して改築された総欅(けやき)造りの中国宋代の形式に従った石畳敷きのものです。


須弥壇(しゅみだん)中央には釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、右に未来弥勒仏(みろくぶつ)、左側に過去阿弥陀仏(あみだぶつ)の三世如来を祀っています。


振り返ると、中雀門と、その向こうに山門が見えます。


今度は大庫院(だいくいん)に回ってみます。
修行僧が食事を作るという修行を行うところ、いわば台所です。


1930(昭和5年)年に改築され地下1階地上4階、延べ750余坪の豪壮な建築物です。


これも見どころ。
巨大なすりこぎ棒です。


浴室。
修行僧たちの風呂。
一切の私語が禁じられている永平寺三黙道場のひとつ。
禅宗では、食事も入浴も、日常の全てが修業です。


月のうち、4と9の付く日が沐浴日と定められています。


日本曹洞宗第一道場の勅額が掲げられた楼閣で、永平寺最古の建物である山門
残念ながら改修中。


総欅(けやき)造りの唐風の楼門で間口9間、奥行き5間の二重層からなる永平寺伽藍の最古の建物で1749(寛延2)年8月、永平寺42世円月江寂禅師によって再建されたものです。
上階には五百羅漢を安置、下層には四天王を祀っています。


そして、これがどうしても尋ねてみたかった鐘楼堂です。
1963(昭和38)年に永平寺73世熊沢泰禅(くまざわたいぜん)禅師代に改築された鎌倉様式の重厚な建物。
総檜造で中に吊られた大梵鐘(おおぼんしょう)は口径1.5メートル、高さ3メートル、重さ5トンの巨鐘です。


 「一撞一拝(いっとういっぱい)」といい、一撞ごとに一拝をして撞かれ、その梵音は修行僧を覚醒し深谷幽山に無限に響きわたります。
この鐘の音は、子供の頃、眠い目を擦りながら、「ゆく年くる年」で何度も聞いた音。
当時小学生の私は、永平寺がどこにあるかも知りませんでしたが、いつかその地に立って、その音を直接聞いてみたい、とずっと思っていました。
それほど、荘厳で厳粛な音がします。
その余韻を聞きながら、自分もずいぶんと年を取ったな、と感じました。





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