ホッピーが大好きな私は、もちろんキンミヤが大好き。
かねてからキンミヤを造る三重県四日市市の宮﨑本店を訪ねてみたいと思っていました。
妻の実家の名古屋からなら然程遠くはないのですが、お盆休みか年末年始に帰省するので工場もお休み。
そうこうしているうちにコロナ禍となり、工場見学はできなくなってしまいました。
今年の夏休みはお盆をずらしたこともあって、せめて外側からだけでも見れないかと思い電話をすると、資料館なら見学ができ、グッズの購入もできるとのことだったので、訪問日の予約を入れました。
この日の朝、妻の実家を出て、名古屋駅から8時半過ぎに四日市に向かう近鉄の車中の人となりました。
平日のラッシュアワーですが、下り電車なので社内は空いています。
塩浜駅で乗り換えのため下車。
大きな駅ですが、どこかのどかです。
貨物列車の引込線もあって、元鉄ちゃんの血が騒ぎます。
3両編成の各駅停車が入線してきました。
塩浜から6分で宮﨑本店の最寄り駅である楠(くす)に到着します。
改札口は一つだけのローカルな無人駅。
名古屋駅で入場する時にSuicaのタッチが出来ていなくて出場できないというピンチ。
しかし、インターホンを通じて親切な駅員さんの指示に従い、無事精算機でSuicaから支払うことができました。
9時半ですが、既に30度越え。
ここから宮﨑本店までは徒歩10分強。
誰も歩いていないし、もちろんタクシーもありません。
Googleマップを頼りに日傘をさして歩き始めます。
「酒蔵・はまぐり」と書かれた古い町並みコースの案内標識がありました。
この地がかつてこうした産業で栄えていたことがわかります。
旧家が並ぶ細い道を歩きます。
絶滅危惧種の丸いポストも見かけました。
古い酒蔵が見えてきました。
宮﨑本店はもうすぐです。
着きました。
遂に来れました。
私にとって、そしてキンミヤの好きな人たちにとっての聖地、宮﨑本店の本社と工場です。
正門脇には、出荷を待つキンミヤが入った段ボールが高く積まれています。
勝手に入ってはいけませんが、奥の方に工場らしき建物が見えます。
資料館の見学予約者であることを伝えるべく正面のビルに向かいます。
しかしこちらは業者さん対応の建物だったようで、正門脇の古い建物に案内されます。
こちらが宮﨑本店の本社。
明治33年にこの地に拡大移転されたそうで、この本社屋を含めた6つの建物が国の登録有形文化財に指定されています。
木造のドアを開けて中に入ります。
明治の風情とはこういうものだったのか、と感慨深い空気感。
事務の女性に声をかけ、見学で来た旨を伝えると、通りを挟んだ反対側にある資料館に案内してくださいました。
この資料館もかなり古い造りです。
戦争で焼失しなかったのでしょう。
入口脇には宮の雪の菰樽。
キンミヤが余りにも有名ですが、宮﨑本店は江戸時代後期の1846年(弘化3年)、日本酒の醸造が始まりです。
事務所の方がエアコンをつけてくれました。
見学記念のクリアファイルとうちわ、パンフレット、ステッカーなどを下さいました。
嬉しい。
資料館は広くはありませんが、貴重な資料が展示されているのがわかります。
古いポスターなどを興味深く見入っていると、スーツの男性が入ってきました。
こちらの取締役経理部長だそうで、キンミヤの歴史をマンツーマンでご説明くださいました。
中でも興味深かったお話は、1930年(昭和5年)、焼酎造りのために当時最新式のドイツ製蒸留器を導入した時に、周囲の造り酒屋から「売れるかどうかわからない焼酎のために、そんな高価なものをいれて、宮﨑さんは潰れるよ」と噂されたこと。
「関東を中心に全国的に大きな売上なのに、なぜ工場を移転しないのですか?」と尋ねると、それは鈴鹿山系の水がキンミヤをキンミヤたらしめているからと聞き、納得。
焼酎は原材料はどこも同じなので、水の違いが味の違いになるそうです。
ここの伏流水が、割モノに合う素直な焼酎を醸しているのだと知ることができました。
ふらりと来た旅人に丁寧すぎる対応で、恐悦至極。
15分以上ご説明を伺った後、再びじっくりと展示品を見て回ります。
国内外の数々の賞を受賞した記念の品が飾られています。
モンドセレクション受賞の記念品も飾られていました。
古い展示品に交じって、著名人の記事の切り抜きもありました。
タモリや吉田類の色紙も。
日本酒の看板銘柄「宮の雪」の揃えが冷蔵庫に保管されています。
工場見学が可能だった頃は試飲も出来たのだろうと思うと残念です。
入口の左手にはお酒と共にオリジナルグッズが展示されています。
これも私の今回の訪問の大きな目的。
何を買って帰ろうか、と考えるだけでも楽しい。
実物が見てみたいので、本社事務所の女性に声をかけ、ショーケースから商品を出してもらいました。
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