歩道橋を渡って小高い丘の上に上がると、そこが歴史のみえる丘。
この丘からは、呉で造られた戦艦「大和」を建造したドックの上屋を眺めることができます。
現在、ドックは埋め立てられ、骨組みは当時のままの上屋だけが残っています。
その隣のドックでは自衛艦が二隻建造中。
今日は日曜日なのでお休みですが、平日なら造船マンたちの活躍を見ることが出来るでしょう。
バイクで巡った今治や、長崎旅行で見たドックを思い出しました。
丘は小さな公園になっています。
旧呉海軍工廠(こうしょう)礎石記念塔。
1982(昭和57)年に残存していた旧呉海軍工廠の礎石を集めて建てたものです。縁石には堺川にかかる二重橋に使用されていたものを使い、銘板が取付けてあるレンガは旧海軍呉鎮守府開庁当時の庁舎建材を使っています。
噫(ああ)戦艦大和塔。
戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠(こうしょう)を望むこの地に、1969(昭和44)年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して呉大和会により建てられました。大和の艦橋をかたどった塔で、主砲徹甲弾も展示されています。
再びバスに乗って、眼鏡橋まで。
入船山記念館に向かいます。
旧呉鎮守府司令長官官舎(平成10年国重要文化財指定)を中心に、郷土館、歴史民俗資料館等があり、呉の歴史をたどるにはまたとない施設です。
1921(大正10)年6月、旧呉海軍工廠造機部屋上に設置され、終戦まで、呉工廠とと もにその歴史の時を刻んできました。
1981(昭和56)年に現在の位置に復元され、時計としての機能を回復しました。
門をくぐり、林に囲まれた静かな林の中を歩きます。
緩やかな坂を上りきった所が、旧呉鎮守府(ちんじゅふ)司令長官官舎。
1905(明治38)年の建築当時の資料が見つかったことを受け、当時の姿に復元したもので、1998(平成10)年12月に、国の重要文化財に指定されています。
この建物は木造平屋建で、東側の洋館部と西側の和館部からなり、洋館部は外観に英国風のハーフティンバー様式を取り入れ、屋根は天然スレートの魚鱗葺きです。
玄関ドアの上側と左右にはイギリス製のステンドグラスがはめ込まれています。
洋館を回り込むと、和館があり、そこから入って館内を見学することができます。
壁や天井には、全国でも珍しい金唐(きんから)紙が張られています。
呉鎮守府司令長官が相当偉い人であったことが窺える官舎です。
強い日差しの中を海上自衛隊呉地方総監部に向かって歩きます。
右手には海上自衛隊呉教育隊の施設が広がります。
一般海曹候補生、自衛官候補生及び練習員等の教育訓練を行うところ。
つくづく呉は海軍の町だと実感します。
総監部に着きましたが、受付はここではなく、丘の上だと案内されました。
見学予約は13時から。
今日二度目の特別見学です。
見学の入口はこちら。
やはりここでも身分証明書を見せて、事前申し込みと照合が行われます。
突き当りに庁舎が見えます。
注意事項の説明を受けてから、庁舎へ向かいます。
1907(明治40)年に竣工した地下1階、地上2階建て、延べ1,990㎡のレンガ石造の建築で、レンガと御影石との調和がとれた、呉市に現存する代表的なレンガ構造物です。
外壁はイギリス積みの積み方で、2階に は柱頭に桜を彫刻した石柱が両側にあるなど、凝ったデザインと入念な仕上げが建物の美しさと重厚さを表現しています。
呉地方総監部の建物で最も古いのがこの右側の庁舎。
自衛隊の警察、警務隊の庁舎として使われています。
総監部庁舎の裏に回ります。
裏側とはいえ、立派な玄関です。
裏側には岸壁に続く大階段があります。
案内してくれた自衛官のお話によれば、海上自衛隊は海を基本に考えるので、こちらがある意味表玄関だそうです。
江田島で訓練を終えた幹部将校は、この階段を登って庁舎に出向き、辞令を受けて、再び階段を下って、その艦に乗船したそうです。
海の男のロマンと、国を守る意識を、このレンガ造りの建物に感じました。
祖父もこの庁舎に出入りしたはずです。
時計はもう13時半。
お腹が空きました。
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