品川で新幹線を下り、京急〜都営浅草線〜京成線と乗り継いで1年ぶりに大好きな下町居酒屋の町、京成立石駅に下り立ちました。
まずは大きなキャリーケースをコインロッカーに預けてから行動開始。
かつては会社帰りに気軽に寄れたことを思うと、今は転勤者の私は思い出の店を巡るのも一苦労です。
最初は南口へ。
懐かしい商店街。
駅前の肉屋さん愛知屋の揚げたてコロッケも相変わらずの行列で、なんだかホッとします。
そういえば、良く立ち食いをしました。
商店街に入って、今日一軒目の店へ。
この店を抜きにして立石は語れない、関東もつ焼き界の聖地宇ち多”。
14時に開店し、19時には品切れ閉店となる人気店。
私が到着したのは18時半少し前。
行列が短いのは、この店が閉店間際で品切れが多いことを意味しています。
常連さんは皆開店を狙ってくるからです。
行列が短いおかげで7、8分で入れました。
どこに座るかは全てお店の差配。
今日は奥の席でした。
私が勝手に「井筒監督」と呼んでいるおじさんの担当エリア。
まずはビールの小瓶と煮込みから。
もつ煮込みもすぐに運ばれてきます。
七味を振って。
裸電球の薄暗い明かりの下、戦後の闇市の匂いを色濃く感じる雰囲気です。
焼き物はシロとレバをタレの若焼きで。
今日はそれ以外はアブラとガツの4種類しか残っていないようです。
狭い長テーブルに身体を寄せ合って。
もつ焼きが好きで、この店が好きなお互い様ですから、譲り合い。
若焼きとはレアのこと。
暗くて良くわかりませんが、かなりのレア。
もちろん「うんと若焼きで」とか「よく焼きで」といった細かい注文も可能。
消費税アップ後は初訪問。
180円のもつ焼きは200円に上がっていました。
アブラの少ないところとガツを一本ずつ。
「塩でよく焼きで」
と頼みましたが
「ごめんね、一本ずつだと生になっちゃうんだよ」
と井筒監督に返されます。
そうでした。
注文ルールも忘れていまうほど、私もこの店から遠ざかっていたのです。
「お酢かける?」
「はい」
この店では50過ぎのいい年をした私でさえ小さくなるくらい、店側の威勢がいいのです。
東京の下町の古き良き雰囲気が残る数少ないエリアらしい接客。
お酒は梅割りにしました。
これも戦後の香りが残る下町の飲み物。
宝焼酎(焼酎甲類)のストレートに謎の梅エキスを垂らしたもの。
向かいのお客さん越しに一升瓶と梅エキスの瓶を器用にコントロールして、この小さなグラスにナミナミと注ぐ様は、なんとも言えない名人芸。
ウイスキーのイミテーションとも考えられる貧しい時代のアイデアが、今も脈々と息づいています。
いい展開になってきました。
もちろん受け皿に零れた焼酎は、少し飲んだところでグラスに戻します。
アブラもガツも生とはいえ湯引き。
お酢でさっぱりと。
梅割りは二杯目。
この店は上限三杯までの縛りがあります。
他のお店で飲んでくるのもご法度で、かつて赤ら顔の後輩を連れてきたら、飲んでもいないのに入店を断られたこともあります。
いろんな意味で店が主導権を握っているのですが、不満ならば来なくて結構という自信の現れでもあります。
お新香は大根。
「生姜のっけてお酢で」
と、ようやく注文の符牒も取り戻してきました。
もつ焼きも3種類となり、行列も途絶えました。
お会計は1,800円。
1,000円でお釣りを貰うご常連の域には、私はまだまだ到達していないようです。
「ありがとね!狭いとこゴメンね。またね!」
と井筒監督に見送られて店を出ました。
傳法な口調でも、この店の人たちは皆下町人情に厚いのです。
宇ち多”の裏口から出て、懐かしい南口の店をパトロール。
もつ焼きのミツワ。
おでん居酒屋の二毛作。
今日も行列。
大阪のたこ焼きに比肩できる数少ない東京の店だと私が思う大ちゃん。
大阪の串かつににかなり近い串かつ立ち飲み毘利軒。
軒を連ねるライバル店、立ち飲み串揚100円ショップ。
どの店も懐かしく、そして転勤前と変わらずに元気でいてくれたことを嬉しく思いました。
今度は踏切を渡って北口の飲み屋街へと向かいます。
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